今年5月にコロナウイルス感染対策が5類に変更となり、一般的な生活が元通りの様式で暮らせるようになりました。
当然、水辺愛護会の活動も、コロナ前の方式でやりましょうと皆で確認しあったところです。
そんなことから今年は、20年史を作成したし、20年永年活動表彰を受賞したことから久々に忘年会を開催することにしました。
いつも活動に参加している会員には、活動日に忘年会開催の連絡を伝えました。
しかし、活動に参加できていない人達には忘年会の「案内状」を作成して郵送しました。
その中の一人Oさんは80代の高齢者です。
和泉川の岸辺にある地蔵原公園内の一角に長いこと、誰も管理してこなかった荒れ果てた小さな花壇を、コツコツと手入れをして花を育て、歩道を利用する人々に安らぎを与えてくれていた人です。
当会の人は、誰が手入れをしているのか知っている人はいませんでした。
しばらく経った時に偶然、Oさんが手入れをしている姿に出会いました。
何気ない会話を続けている時に思い切って、「当会への加入」のお誘いに快く応えてくれまして、令和4年2月に加入が実現できました。
嬉しかったですね。
その後、活動日に参加してくれていたのですが・・・
ある時から参加する姿が見られませんでした。
どうしたのかな~?と思っていましたら、人づてに入ってきた情報は、「奥さんが病気となり介護をしている」とのことでした。
それならば大変だ。
奥さんの介護が最優先で対応して欲しいと会員のみんなも納得したところです。
そのような介護をしている状況ですからOさんに忘年会の案内状を出すのは遠慮しようと考える一方で、忘年会は不参加でも20年永年活動表彰を受賞したことを知って頂くよい機会だと思うし、色々と考えが錯綜したのですが・・・思い切って案内状を郵送しました。
約10日が経過した24日の夕方、Oさんから携帯電話に連絡が入りました。
“今度の忘年会に参加する”との返事です。
私は一瞬、“ええ・・?”と自分の耳を疑ってしまったのです。
私があやふやな声を出したものですから、Oさんがもう一度、“忘年会に参加するよ”と言ってくれました。
私は奥さんの介護は・・・どうされるのかな?と最後の言葉が出ないうちにOさんが、“病気が良くなって少しの時間なら一人で留守番が出来るまでに回復をしたんだよ”と答えてくれました。
わあ~そりゃ良かったですね。
私は忘年会に参加してくれることと、奥さんの病気が良くなったことにより二重の喜びとなりました。
Oさんの献身的な介護の成果により奥さんの病気が回復したことは嬉しく明るいニュースです。
これからの私達が歩まなければならない老老介護の問題ですね。
よいお手本が身近にあります。
忘年会でご本人からのじっくりと介護の様子などをお聞きしたいと思いました。
今回の教訓として案内状を出す、出さないと躊躇すことなく、出すことが大切であると考えました。
参加する、不参加の判断は本人にお任せしようと思いました。
文・写真 寺田さん